子どもたちへの質問
今日は北海道にしては蒸し暑くてなんだか身体がだるい日でした。いつもなら夏休みなのに、暑い中重たいカバンを背負って学校へ行かなくてはなりません。
しんどいのはわかっているのですが、ダラダラした雰囲気なので「どうして勉強するの?」と子どもたちに訊きました。
「好きなことをやりたいから。」
「○○高校へ行きたいから。」
「できるようになりたいから」などと答えが返ってきました。
自分のためか?人のためか?
「○○高校へ行きたいから」と言う答えの中には、そこへ行って何かしたいことがあるのかもしれません。でも、高校合格をゴールにすると、合格とともに学習は終わります。
「できるようになりたいから」という答えも、なぜできるようになりたいか?を考えず、ただテストで点を取るためだったら意味がありません。
自分のために勉強しているのなら、自分が「もういいや」と思えば辞めてしまいます。
「この学びをいつか誰かのために活かそう!」なんてことはなかなか思いませんが、でも使うために知識を得たり学んだりすれば、それはきっと役立つときがやってきます。
勝ち抜いた感がない入試に意味はない
ここ数年の公立高校入試は、裁量校に人気が集中し、標準校はほぼ1倍、工業高校、商業高校は定員割れをしているところもあるので、受ければ誰でも受かります。
私立高校も上位数校を除き、本気のガチンコ勝負に腰が引けている高校が多く、過半数以上の入学者を学力試験をやらないで内申書だけで合否を決める学校もざらにあります。出願して、お金を払えば誰でも入学できるのなら受かった喜びも、勝ち抜いた感もありません。
これって子どもたちの成長の機会をあえてなくしていることのように思います。
一生学び
学生が終わったからといって、学習が終わるわけではありません。
社会に出てからが本当の学びであり、生き方の真価が問われるのです。
テストも偏差値もありませんが、何かの形で学び続けていくのです。
その基礎になる必要最低限の知識を得ることを軽視して、幸せで豊かになれるはずがありません。
子どもたちも真剣に考えて、また自分の学習に入っていきました。
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