自分の後頭部は見えてない
当たり前のことだが、自分の後頭部は見えない。
ちょっと手を後ろに回せば、簡単に触ることはできるのに見ることはできないのである。
一方、自分以外の他人には私の後頭部は見えている。
これがなかなか厄介で、普段はこのことを忘れているために残念なことになっていても気がつかない。いや、気がつけない。
これは、自分の内面にある足りないことにも同じことが言える。
たまに、親切に指摘してくれる人が現れても認めることができないのだ。
身近な存在が自分を映す鏡
多くの時間を一緒に過ごす家族や仲間は、ある意味自分を映す鏡のような存在だ。思っている以上に同じことを考えていたり、同じような行動をとったり、同じようなウッカリをしでかしている。にも関わらず、身近な人の欠点はとりわけよく目につき、自分は違うとばかりに指摘して「あなただってできていないでしょ!」と言われようものなら逆ギレしたりする。
”忙しい”は心を亡くすと書く
ほとんどの行き違いはコミュニケーション不足からおこるが、時として3分で済むようなことを怠ったために、これまで築いてきた信頼関係が強い不信感に変化することがある。
どんなに忙しくても3分ぐらいの時間はたいてい捻出できるものである。
そこにもっともらしい言い訳をしたところで後の祭りである。
この人ならきっと私をわかってくれるという心の甘えが通じない場合もあるのだ。忙しいは、心を亡くした状態。大切な相手にこそ、言い訳に使ってはいけないのだ。
人の振り見て我が振り直せ
「ああ、残念な人だなぁ」と感じる人に出会ったら、自分の普段の行いはどうだろう?
そんなこと言えないんじゃないか?と客観的に見てみようと思う。
そして時々耳が痛いことを言ってくれる人に感謝しよう。
そこが自分のウィークポイントで、成長点なのかもしれないから。